2007年8月13日 (月)

ペルー旅行記 10

2006年1月6日 金曜日 晴れ  (4日目 マチュピチュ その3)
アグエス・カリエンテス
遺跡見学を終え、バスに乗って山を下る。つづらおりの山道を下るバスに対し、斜面を一直線に下って近道をしながら何度もバスに向かって「GoodBye」を言い続けるグッバイボーイに遭遇。最下点でバスに乗り込んだ彼に、自分としては珍しく、ソルの小銭をあげた。まあ肉体労働だし。ただ行きはバスに乗せてもらっていたし(※1)、帰りも最下点で乗せたり、なんかしらの組織だった仕組みになっているのだな…とも思う。私もひねくれた性格ですね。
昼食は軽いバイキング。そして急な坂を登ってアグエス・カリエンテス駅へ。15:30の帰りの列車発車まで1時間以上あるので、自由行動となった。駅前の土産物露天を物色したり、駅にとどまって休憩したりのメンバーと別れ、私は1人町の奥にある温泉へ。おみやげ市場を抜け、レストラン兼おみやげ屋が並ぶ街中の坂をえっちら登ると、どん詰まりに入り口が。10ソル払って川沿いの道を更に上ると、ちょっと古くさいタイル張りのミニプール群に到着。着替えてフロントに1ソル払って荷物を預け、いざ。階段付近に子供がいるので直接はいると…深い。日本の風呂を想像していたが、皆立って入っていたのだ。下は砂利。しばらくつかっていたが、基本的にぬるい。他にも4つくらいあったが、更にぬるく、雨も大粒で降っているので10分くらいで退散した。
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0311帰りの列車はどこかで列車の編成ごと方向転換していて、同じ席だがサイドが逆に。土手ばかりで少々つまらない。メンバーの方もほとんど船をこいでいた。そんな退屈を打ち破るためか、車両スタッフがお面をつけて踊ったり、アルパカのセーターを着てのファッションショー&販売など、車窓以外で楽しんだりして過ごす。
0309行きと逆なので登り続けた列車のエンジンが静かになってクスコに戻ってきた頃には、周囲はすっかり暗くなり、夜景が見事…と思ったら、どうも列車スタッフに不穏な動きが。何かこの雨か何かで、駅に列車が入れないとのことで、途中の道路付近で降りるということらしい。…と状況を聞いた現地ガイドさんが我々に説明していたら、結局は復旧したということで再出発。なんなのだ。改めて夜景を見つつ駅到着。バスはわざわざ上まで迎えに行ってまた戻ってとのことでご苦労様。
夜はレストランでインカの音楽、踊りを見つつ、アルパカのステーキを食す。ちと硬いがまあまあの味…、でも皆さん残していて、完食は私だけでした。ホテルに戻り風呂に入る。マチュピチュで暑かったのでTシャツになったら、手と首が日焼けで真っ赤に(※2)。蚊にも数カ所食われていた。あまりかゆくないのが不幸中の幸い。そして高山の気圧の関係で腹にガスがたまっていたが、便も緩くなった(※3)。頭は痛くないがこれも高山病の症状の一つか。色々支障が出つつ、時差ボケ&疲れからくる睡魔と戦いつつ洗濯をして、寝た。

※1:行きのバスで一番前の席に堂々と座っていたので、運転手さんの息子か何かかと思ってました。
※2:私は日焼けに非常に弱く、ゴルフなどで屋外に長時間いるときは必ず日焼け止めを塗ります。でないと翌日以降痛くてつらいことになるんで。
※3:ツアーメンバーの多くの人がこの症状になった。私は日本に帰っても1週間くらい治らなかった。ただ今考えると、前日に腹痛で1人ダウンしてるし、リマで食べたなにかにあたったのではないかとも思う。個人的には朝食で食べた現地のフルーツなどの生食材があやしいと・・。

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2007年8月12日 (日)

ペルー旅行記 09

2006年1月6日 金曜日 晴れ  (4日目 マチュピチュ その2)
マチュピチュ
0222比較的新しい駅舎を早々に後にして、マチュピチュへの連絡バスに乗車。ピストン輸送でどんどん出るようだ。つづらおりの山道を登ること30分で遺跡入り口についに到着。
観光はまず、あまりにも有名なマチュピチュ全景を写せる展望ポイントへ。必然的に登り。2000mの高度と高齢者に配慮して、ゆっくりゆっくり進む。確かにいつもより息が切れる。そして到着したポイントはまさしくあの景色。視点を変え、もう少し登ったりしながら何枚もシャッターを切った。視界左側はるか下にウルバンバ川の蛇行が見える。そこへの急斜面を畑兼土砂崩れ防止のための石組みが段々状に結構下まで造られていた。
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再度道を下って遺跡の見学へ。門をくぐり、神殿や儀式を行う場所、一番高いところにある神聖な岩、その他様々な地位の人の住居、などなどをゆっくり歩きつつ、現地ガイドさんの説明を聞きつつ見学。その一つ一つの説明やら感想やらををここに書き留めるときりがないので、いくつか学んだこととして…、
・神殿などの高級な建物ほど精巧な石組みで造られていること、
・やはりここでも窓や建物の基本形が台形であること、
・壁の出っ張りは屋根につながるものであること、
・神殿や都市を構成するための石切場があること、
など。とにかく写真撮りまくり。遺跡だけでなく、そこで平然とリャマが草食ってたり、ウサギのような動物がひょっこり顔を出したりで、さらにシャッター切りまくり。(ということで今回のブログの写真も多いです。これでもかなりしぼっています)
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最後は太陽の神殿付近の水くみ場。急斜面を段々に水がたまり場を通りつつ落ちて流れる様は…写真が撮りにくかった。そして出口へ。見学中はずっと晴れていて暑いくらいで、列車内では長袖だったのがTシャツになっていたが、出るときに雨がぱらついてきた。タイミング的にはすごく良い。約2時間の見学時間は短いのではと思っていたが、なかなか充実していたし、内容も満足でした。
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2007年8月 7日 (火)

ペルー旅行記 08

2006年1月6日 金曜日 晴れ  (4日目 マチュピチュ その1)
クスコからマチュピチュへ
相変わらず時差ボケ継続中。昨日も睡魔に勝てず22時頃寝てしまい、夜中に何度か目を覚ましつつ4:30ベッドから出る。当然まだ夜明け前。ただしこれは眠れなかったからではなく、マチュピチュへ行く列車が6時発のための起床時間。なので5時過ぎに朝食。列車でも軽食があるので少なめにしようとコーンフレークにしたが、ミルクと間違えてヨーグルトをかけてしまった。これはこれで大丈夫だった。
5:30ホテルを出発。ホテルから線路が見えていたので(※1)、駅は近いのかと思っていたが、実際は上に5分ほど登ったところにあった。早朝だがマチュピチュを目指す観光客で駅は賑やか。ビスタドームと呼ばれる列車は6両で、自分の席はE号車進行左側の窓側。列車に暖房がないということで、車内でもジャンパーを着てて丁度いい。周囲が明るくなり始めたところで出発。まずは赤い煉瓦造りのクスコ市井の人々の家が並ぶ中を登っていく。ある程度登るとスイッチバック(※2)。割と短い間隔でスイッチバックを計4回繰り返した後はカーブを繰り返しながら高度を稼いでいった。
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約1時間で登り切り、残り2時間半は下る一方。登っている間うなり続けていたエンジンも軽い音になった。車内は窓が天井まで回り込んでいることもあり、室温が上がったので出発時に着ていた上着は脱いで長袖を腕まくり。少し長く停車する途中駅では地元のおばさんが色々売っており、現地ガイドさんが名物のゆでジャイアントコーンを購入し、ふるまってくれた。一粒が通常のトウモロコシの何倍も大きいのだが、味は大味で今ひとつというより正直まずい(※3)。そのイマイチさを予測していたのか、ツアーメンバーのおじいさんが持参した炊飯器を使ってホテルで赤飯を炊いたと、おにぎりを振る舞ってくれる。おいしかったが、炊飯器を持ってくるとはびっくり。
終盤、列車は渓谷に入って行き、線路沿いに併走するアマゾンに注ぐウルバンバ川のものすごい勢いの濁流を車窓から魅せつつ進む。変化に富んだ車窓とマチュピチュへの興奮も手伝い、退屈することのない列車の旅の終点、アグエスカリエンテスには9:40に到着した。
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※1:ホテル近くの線路は明日向かうプーノ方面のもののようだ。
※2:高度を稼ぐために、ジグザグ状に線路を設置して斜面を登って行く方法。スイッチバックの地点では進行方向が変わる。うまく説明できないのでウィキペディアを参照してください。
※3:どうやら季節ものらしく、GWに行った妹の話だとその時期に旬で、私が言うほどまずくなかったとのこと。

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2007年7月29日 (日)

ペルー旅行記 07

2006年1月5日 木曜日 曇り  (3日目 クスコ その2)
クスコ市街
郊外の遺跡観光を終え、ツアーバスは市街地に降りて、まずはサントドミンゴ教会(※1)へ。教会よりもコリカンチャという太陽の神殿の遺構を見るのが目的。太陽の神殿は土台を残し壊され、その上にカトリックの教会を建立したのだが、内部にはインカ時代の神殿のうち月の神殿の一部が残り、びったりと組まれた石や、台形の形をした入り口、窓、建造物そのものを見る。「台形」はインカ文明の特徴とのこと。
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次はカテドラル(※2)へ。結構広い教会で、十字の形をした内部にいくつかの祭壇がある。メインの祭壇は銀300トンが使われているそうで、巨大。いくつもある宗教画は現地の人が書いたものも多く、バランスが今イチだったり、最後の晩餐のメインディッシュが地元の食材(クイというネズミ)だったり。まあ、いいかげん。合唱隊の座る椅子に裸の女性が彫られているに至っては、宗教的に大丈夫なのかと心配になる。
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カテドラル見学の途中から自由行動だったので、見学終了後はカテドラル前のアルマス広場(※3)を少し歩いたり、周囲の写真を撮ったり。メンバーの中には少し歩いて「12画の石(※4)」を見に行った人も。クスコ見学はこれにて終了で、バスでホテルに戻る。
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18:30ホテルで夕食。昼食が13:30だったので、さらに残す人続出。私はほぼ完食したが(※5)。途中からアルパを弾く父と歌う息子がやってきて、稚拙な演奏で陰鬱な気分になる。昼間のアンデス音楽のバンドはちゃんとしたものだったのだが・・。懸念された高山病は薬(※6)の効果か大丈夫なようだ。空港に着いたときふわふわしたので心配だったが。ただメンバーの1人若い男性が腹痛で夕食欠席。医者を呼んだとのこと。

※1〜4は「地球の歩き方 ペルー 06〜07年版」から引用
※1:インカ時代のコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿があり、スペイン人が黄金などを略奪後に建物を破壊、チュリゲスト様式の教会を建てた。その後クスコに大地震があった際、教会は崩れ落ちたが、インカ時代の土台の石組みはひずみ一つ起こさなかったというのは有名な話。
※2:インカ時代のピラコチャ神殿跡に、1550年から100年の歳月をかけて完成。
※3:リマにも同名の広場があるが、スペイン式の街作りはこの「アルマス広場」からはじまるとのこと。
※4:接合剤も使わず精巧に積み上げられたインカ時代からの礎石の中に、あえて4角でなく12画で切り出して組み合わせているものがあるのだそうな。
※5:以後ほぼこの調子。
※6:ダイヤモックスという眼圧を下げる効果がある緑内障の薬を、母がかかっている医者に「息子がペルーに旅行に行くので」と相談して処方してもらった。今インターネットで調べたら「医師の処方薬で、脳血流量を増やしたり呼吸中枢を刺激したりして、頭痛などの高山病の症状を軽くします。」ともあった。

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2007年7月26日 (木)

ペルー旅行記 06

2006年1月5日 木曜日 曇り  (3日目 クスコ その1)
クスコ郊外の遺跡
時差ボケがひどく、就寝時には猛烈に眠いのに夜中は熟睡はできない。結局モーニングコール前に起床。7時頃食事。集合まで日記を書く。8時空港へ出発。飛行機のチェックインをすると、11時出発まで余裕もあり、ショッピングタイム。私は帰国時に利用する空港でもあるので、買い物はせずお店のチェック。
再集合すると、様子が少しおかしい。現地ガイドさんによるとクスコ便は前2本が悪天候で1便キャンセルと1便出発待ちになり、自分たちの今度の便は出発は確定しているものの遅れるとのこと。とりあえず出発ゲートへ。結果、出発は遅れたが無事フライト。そして定刻にクスコ到着。出発待ちの1便とほぼ続行運転になったようだ(※1)。アンデス音楽(?)の生演奏が出迎えてくれたクスコ空港は標高3399メートル。少しぼーっとするというか、体が浮く感じというか、正常な体調ではないのは確か。外に出ると雲が厚いところがあり、水たまりができていたので、激しく雨が降った模様。まあ雨期なので。
リマより少し大きいミニバスに乗り、まずホテルにチェックイン。割と新しいきれいな部屋。ここで昼食をとるが、ほとんどのメンバーがあまり箸(じゃないけど)が進まない。私はなんとか完食。食事中アンデスバンドが演奏を繰り広げ、最後に自分たちのCDを販売した。メンバーで購入した人も。
午後のクスコ観光は雨が心配とのことで予定より早めに出発。まずは郊外にある遺跡、サクサイワマン(※2)へ。市街を抜け、坂を上り続けて到着すると、それは広い丘の上に広場と斜面に沿って3層の巨石がジグザグにくまれていた。奥に行けば行くほど巨大な石が使われているということで、その巨石の前へ行き自分と対比で写してもらった。駐車場では香草を手に握って売る子供や、リャマと民族衣装を着た女性(記念写真用・有料)、物売りの人が。香草を購入した人が分けてくれたが、部位が悪かったのか強烈なアンモニア臭がしてダメでした(※3)。
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続いてクスコの街を一望できるポイントに立ち寄った後、プカ・プカラの遺跡を通ってタンボ・マチャイへ。ここでも織物を売る現地人の露天を抜けてから見学。インカの沐浴場とのことで、水がどこから来るのか(※5)、常に流れてきているそうな。水にさわるが、高地でもあるし冷たいのかと思っていたら常温でした。
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※1:「歩き方」によると、クスコ空港は有視界飛行のため各地の出発時間は午前中に限られ、天候によりキャンセルや遅れも多いとのこと。
※2:「歩き方」によると、3層の巨石が22回のジグザグを描きながら360メートルにわたって続く、堅固な要塞跡。たかさ5メートル、約360トンもの巨石が使われているところもあるとのこと。
※3:リャマの排泄物のにおいらしい。他のをかがせてもらったら、ちゃんと香草のにおいでした。
※4:「歩き方」によると、水がどこから来るのか調査しようと、いろんな川や行けに色素を流したもののわからずじまいのよう。サイフォンの原理を利用して、遠くから運んでるというのが有力説らしい。

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2007年7月11日 (水)

ペルー旅行記 05

2006年1月4日 水曜日 曇り  (2日目 リマ その3)
新市街
バスは旧市街の端っこにあるホテル前を再び通って新市街へ。にぎやかな繁華街を抜けて閑静な住宅街の中に入っていくと、テロの記憶も新しい旧日本領事館に到着。扉に銃弾の跡が残り、痛々しい。後で少し離れたところにある新しい日本領事館を車中から見ると、塀や門が表現できないものものしさだった。全般的に新市街は庭付きの広い家も多いが、強盗よけのために塀が高くなったり、高圧電線があるところも多く、色々と感じざるを得ない。ガイドさん曰く、ペルーの失業率は40%にものぼり、今日のようにデモも頻発。交差点には停車したドライバー目当ての物売りが必ずいるし、その多くで子供も働かされている。スリ、ひったくりの類は捕まっても罪にならないとか・・
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バスは海岸沿いの繁華街、ミラ・フローレス地区へ。「恋人たちの公園」で下車して男女が抱き合う像を横目に海を眺める。浜辺は砂でなく、崖から崩れた小石だらけ。夏休みで日光浴の人は多いが、泳ぐ人はなし。海は鉛色というか、あまりきれいでない。サーファーはウェットスーツ必須。というのもこの付近の海は寒流が走っており、リマがあまり暑くならないのはこのおかげらしい。そして夏前は蒸発した水分が雨になりきらず、霧となって上空を覆うとのこと。今日の天気はまさにそれで上空は真っ白。
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再度バスに乗って同地区のショッピングセンター「ラルコ・マル」へ行き、食事。カジュアルレストラン風の店で、この海で捕れるカタクチイワシをえさにしたチキンソテーを食す。シンプルな味付けなのにおいしいのは素材の良さか。だが量も多く残す人続出。それよりもここで供された2種類の飲み物、トウモロコシのジュース「チチャモラーダ(※1)」と食前の蒸留酒「ピスコ・サワー(※2)」。チチャモラーダはまあまあの味だったが、ピスコ・サワーはアルコールがきつく、昼から飲むものじゃなかった。ツアーでこの酒のファンになった人もいたようだが。
食事が終わり、続いて黄金博物館へ。1Fは狩猟の趣味から収集した武器の博物館。地下に金を中心としたインカの文化財を収集した展示。結構な量で、どのような装飾、器具に使われたかがわかった。その他、衣服やミイラなどがあり、意外と良かった。敷地内のおみやげ店が充実で、皆吸い寄せられていた。と、これにて本日のコース終了。ホテルに戻った。
7時にホテルにてバイキングの夕食。「インカコーラ(※3)」を試すが、トレッカ・メロンソーダのような味。しかも気抜け気味の。部屋に戻ると時差ボケ未解消で猛烈な睡魔。本も読めない。何とか風呂に入り、洗濯をして、10時過ぎに就寝。

※1:紫トウモロコシをシナモンとグローブで煮て濾し、レモンを加えたもの。
※2:ブドウの蒸留酒であるピスコの卵白とレモンを加えてシェイクした飲み物。小さなグラスで供される。
※3:ペルーの国民的ソフトドリンク。黄色くて甘い。コーラじゃない。つづりも「KOLA」

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2007年7月10日 (火)

ペルー旅行記 04

2006年1月4日 水曜日 曇り  (2日目 リマ その2)
旧市街(セントロ)
散歩から戻って10時。部屋で日記を書いて過ごして11時にロビーへ。集合30分前だが、総勢9名なので程なく集まってしまう。ということで11:20、ミニバスに乗ってツアー出発。先ほど散歩したサンマルティン広場を一周して旧市街の中心、アルマス広場に到着。17世紀に造られた噴水はクリスマスデコレーション中で水はナシ。周囲は雰囲気のある建物が多い。大統領府もこの一角にあり、正午の衛兵交代式を前に、観光客を中心に賑やか。ところがガイドさんが様子がおかしいと調査すると、デモが発生していて、こちらに向かっているがための警戒態勢。交代式は中止になってしまった。残念。
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広場周辺は駐車禁止ということでバスは時間までやってこないため、急遽自由行動に。ある人は広場をゆっくり一周する馬車に乗りに行ったが、私は別の一角にあるペルー最古の歴史を持つカテドラルの見学に。拝観料10ソルということで、4ドルとられる(※1)。大きな教会だが、特に凝った装飾もなくシンプル。見学時間が短時間だったこともあり正直4ドルは高かった。ガイドブックでは5ソルだったのだが、倍になっていたのもマイナス印象。これならショッピングモールのラ・ウニオン通りへ行けば良かった。若夫婦が行ったということで、おもしろかったと報告していたのでなおさら。
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広場でバスを待つ間、ひっきりなしに子供たちが小物を売ろうと近づいてくる。バックで大人が控えているとのこと。この後あらゆる場所で観光客相手に露天で物を売る人たちを見ていくのだが、もともと道中で買い物するのがおっくうなこともあり、基本的に余計な感情を持たないようにした。自分は逃げの方向だったけど、ツアーの人には彼らに積極的に声をかけたり何か買ったりする人もいた。いらないものは断っていたし、値切ってもいたし。
正午バスは出発し、デモかもともとかで渋滞する狭い道をのろのろ進みつつ、旧市街に散在する古い教会(サント・ドミンゴ教会、サン・フランシスコ教会)や、出窓の見事な役所(トーレ・ダグレ宮殿)を車中から見学し、ホテルの方へ引き返し、新市街へと向かった。

※1:現地通貨は「ソル」という単位。当時1ドル=2〜3ソル(失念)。ただし、基本的に現地での精算はドルで行われ、ほとんどソルを使う場面はなかった。

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2007年7月 5日 (木)

ペルー旅行記 03

2006年1月4日 水曜日 曇り  (2日目 リマ その1)
リマで散歩
飛行機で寝過ぎたか、初めての南米に興奮しているのか、あまり眠れず6:30に目が覚めた。しばらくベッドでごろごろしてから、テレビを見たり、日記を書いたり、荷物整理して、8時頃朝食へ。エレベーターで同じツアーのおじさん2人(※1)と一緒になる。聞けば早くも散歩に行くとのこと。朝食はさすがツアーかつシェラトンということで高級(?)で、普段の自分の旅行で泊まる宿では絶対に見ない日本食(朝がゆ)もある。いつもの癖(※2)で、パンを5個食すが、小ぶりだったので特に多いということはなかった。スクランブルエッグ、ベーコン、ソーセージなど定番をクリアした後、ペルー料理ゾーンへ。鶏肉をイモで包んだもの、内臓加工系、豚ゼラチン系、牛肉玉葱炒め、麺入りスープを食す。スープが良かった。他はまあ・・、という感じ。
部屋に戻り、朝の散歩計画をする。ホテルに近いサンマルティン広場へ行くことにして、9時頃出発。ホテル前の広い通りは朝のラッシュか交通量がすさまじい。しかも古い車や整備状態の悪い車が多いので、排気ガスがひどく、体に悪い。道行く車はどれも隙あらば前を抜くという姿勢なので、お互いのクラクションが絶えない。信号も少なく、警官が要所で交通整理をしていた。バスもたくさん走っていたが、日本製のマイクロバス改造や韓国の中古、アメリカのスクールバス中古など、色々なタイプがあり、はっきり言ってどれに乗ればいいか一見者にはわからない。後でガイドさんに聞いてみると、車内の環境や雰囲気的におすすめはできない(というか乗れたものではない)とのこと。路線数は統計がないが、市内で2千台以上登録されているらしい。事業者も乱立しているのでは・・と思う。
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ともかく多くの人、車が行き交う中、サンマルティン広場への道を歩く。歩くが、どうも様子がおかしい。というか道路が地図と違いすぎるので、さすがに間違いの予感がして一旦引き返す。ホテル近くに戻ってようやく逆方向に行くという単純ミスに気づき、改めて出発。旧市街への小道へ。先ほどの間違いの大通りと違い、交通量は少ない。狭い歩道を淡々と歩いて10分ほどで広場に到着。ペルー独立の「父」サンマルティン将軍の像が建つ長方形の広場は、ヨーロッパ風の建物に囲まれているが、かつてあった主要機能は新市街へ移転しているということで、人は少なかった。写真を撮ってホテルに戻った。
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※1:60代&70代のご兄弟。上の方は過去パキスタンへ行ったためにアメリカ入国審査でひっかかった人。ちなみにその他のメンバーは、50代のご夫婦、50代&30代の母娘、20代の新婚さん、30代(か40くらい)のツアコンさん(すべて年代は私の推測)、30代の独身男(=私)。少ない割にはバラエティに富んだメンバーでした。
※2:旅行に出ると朝ホテルでたらふく食べて、昼ご飯を食べない戦術をとる。
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(おまけ写真)ホテル前には交通渋滞の道路を挟んでグラウ広場という公園があり、さらに渋滞道路を挟んで立派な最高裁判所があります

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2007年6月19日 (火)

ペルー旅行記 02

2006年1月3日 火曜日  (1日目 移動日)
成田→ロサンゼルス→リマ
本日は移動のみの日。正月休み最後の成田空港は相当な混雑で、団体カウンターを探すのにまごついたが、無事に手続き終了。添乗員さんからチケットを渡されると、席はすでに決まっているということで、その後1人でカウンターへ行き荷物のみ預ける。2時間前集合だったので余裕があり、スタバでコーヒーを購入して展望デッキで時間つぶし。出国手続きも混雑していた。キャリアは全日空。16:45に搭乗、17:05出発。機内満席。
今回は初のアメリカ行きで、乗り継ぎ付きで、双方とも10時間フライト。どう時差ボケを防ぐか考えた(※1)が、結局なるようにしかならんということで、映画は2本消化。途中、上下動を伴う大揺れが何回かあり、2回目の食事後のお茶サービスは中止。映画以外の暇つぶしは父の友人が著したペルー紀行本(※2)を読む。著者謹呈ものを父から借りてきたのだが、表紙が少し破れてしまい、申し訳なし。睡眠も珍しくとった。1回目の食事でビールとワインを飲んだせいか、ちょっとやられてしまった。3時間くらいだろうか。そんなこんなでロサンゼルス現地9:45到着。時差17時間。
機体は離れに到着し、バスで運ばれ本丸へ。この時点でツアー人数が判明したが、9名だった。想像よりかなり少ない。よく成立したものだ。添乗員さんの予告通り入国審査でものすごく並ぶ。待つだけで1時間近かったのでは。ようやく順番になり、教えられたとおり、左手・右手の人差し指の指紋を採られたが、顔写真はその間撮られたらしく、「カメラの方を向け」だの「眼鏡を外せ」だの言われなかった。しかし係の人の英語はとても速く、声も小さいので聞き取れず。いつまでたってもまだまだです。ツアーメンバーの1人の方が過去パキスタンへ行ったというだけで、えらいとがめられたらしく、空港日本人スタッフがやってきたりして結構難儀なことになっていた。荷物を受け取り、乗り継ぎカウンターで再度預けて、上の階に登り、カウンターでチェックイン。もう搭乗30分前。出国審査に並ぶと、かなりの貴金属を引っかけており、入国も出国も大変な厳しさ。私は大丈夫でした。これでゲート前でもはや10分前。バスに乗って離れから搭乗。ロス空港は敷地は広そうだが、建物はあまり大きくない印象。それにしても3時間もの待ち時間、なにをして暇をつぶすか考えていたのに、全く時間の余裕ないことにショック。ニューヨークで5時間の待ち合わせがあるのだが、街に出るのは無理だとあきらめる。
ペルー経由でチリまで行くランチリ航空は満席ではなく、席を少し移動してゆっくりする。機内サービスのヘッドホンだか機械だかの調子が悪く、ステレオの片方の音量が小さい。よさげなラテン音楽だったが、バランスが悪くてストレスがたまるので途中でやめた。食事は最初がチキンソテー+クリームソース? 2回目はホットサンド・チーズ付き。シンプルでまあまあだけど、飲み物サービスが回数少ないのが残念。いずれも食事後は疲労と満腹で爆睡してしまう。4時間近くか夢も見ず。残りは本を読んで過ごす。紀行本は半分まで来た。12:30出発が少し遅れたので、到着も23:55から翌24:15に。25分遅れ。
ここでまた入国審査に並ぶが、並んだ場所で流れが異なる。列に2つあるカウンターの両方に審査官がいたり、そうかと思えば1人になったり。複数の列では当然先入れ先出しにならず、いらつく。自分は流れを見て速そうな所へ行ったつもりだったが、子供連れや体の不自由な方の優先レーンが隣にあり、カウンターを共有する関係で途中から遅くなった。それは仕方ないのだが、混雑を見た空港がカウンターを分けた後も優先レーンの人が我らの列のカウンターに割り込むようになり、ものすごく感じ悪し。結局なんだかんだで、ここでも入国に1時間ほどかかり、ようやく現地ツアー会社のガイドさんと合流。ミニバスというかバンで市内へ。すでに夜中2時だが、街はそこそこ明かりがあり、人もパラパラいる。ガイドさんによるとこれでも少ないとのことで、木曜の夜はもっとすごいらしい。広場ではクリスマスネオンが飾られていたが、イースター?までそのままらしい。残念ながら写す機会なし。程なくホテル「シェラトン リマ ホテル&リゾート」到着。たいそう立派でカジノもついているし、日本のNHKも映るらしい。さすがツアー。説明を受けて部屋に入るともう3:00。風呂を入れて汗を流し、ベッドインした。
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※1:ヨーロッパへ行くときは、機内で映画を見まくって一睡もせず、夕方に現地ホテル着いたら夜7時頃から寝てしまう。2日目ぐらいで解消する(若いときはこれで翌朝治っていた)。
※2:杉野圀明著「マチュピチュ晴嵐」(文理閣) 父の大学の同級で大学教授をされてる方です。

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2007年6月17日 (日)

ペルー旅行記 01

前説
仕事の関係で夏休みをとりそこねたまま迎えた2006年下半期。課長に呼び出されて新年度より異動の話しがあることを伝えられました。この時点ではどの部署に行くかわからなかったので、今までのように1週間まとまった休みなどとれなくなるかもしれない・・。ということで夏休みをきちんと消化すべく、夏休みを逃した場合恒例の南半球(※1)へと考え、どこへ行くか迷っていたところ、両親に送られてくる阪急交通社の旅行冊子に「ペルー」の文字が。しかも正月明けは1人割り増しを割り引き(なんのこっちゃ)するということで、決断しました。10年勤続の休暇義務(連続3日)&補助金(少し)があったことも後押しになりました。
結局異動は現実のものとなりましたが、次の部署も今まで通りまとまった休みを許可してくれるところで、この趣味も続けられることとなりました。

ところで、このペルー旅行は私にとって初の団体旅行でした。今までは個人旅行だったのである意味新鮮な経験。メンバーは添乗員さん入れて10人の小所帯、のわりに年代は20代から60台(もしかしたら70台)までまんべんなくいたのはおもしろかったですね。楽しい旅ができた、いいツアーでした。

※1:夏休み取り損ねたのはこのとき入れて3回。過去2回はオーストラリアとニュージーランドに行きました。

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